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【311】震災が発生したあの日。自分の無力さを痛感した日。

2020/02/23
 
この記事を書いている人 - WRITER -
みやま
一日のほとんどを会社で過ごし家族と関わるのは休みの日だけという生活に違和感を感じ、人生を変えたいと奮闘中。派遣生活も3年目に突入。ストレスなのか、歳のせいなのか薄毛も気になる今日この頃。ブログ内容は、派遣の仕事、住まい、移動手段、子育てなどを中心に書いています。
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2011年3月11日 14:46

東日本大震災が発生。

 

 

あの地震があってからぼくの生きかたは変わった。

10年ほど勤めた会社を辞めて…そこから試行錯誤の日々が始まった。

 

 

 

このブログも震災にルーツがあるから

1本目の投稿は震災でぼくが考えたことを書こうと思う。

 

 

 

震災の記憶

東日本大震災が発生したあの時刻。

ぼくは会社にいた。

 

 

昼食がずれ込んで14時過ぎになるのも珍しくなかったので

この日も少し遅めの昼食をとるため休憩室いた。

 

 

 

(地震だ…)

 

 

 

(すぐに収まるだろう)

 

 

 

最初はそう思ってたけど揺れはどんどん強さを増していって

自分の知っている地震とは全く違う強烈な揺れに変わっていった。

 

 

 

身の危険を感じて避難訓練でやっていたようにテーブルの下に潜り込んだ。

まわりの人もとっさにそんな行動をとっていた。

 

 

 

引きちぎれそうなほど揺れる照明

 

ガタガタと激しい音を立てる窓ガラス

 

周りから聞こえる悲鳴

 

 

 

テーブルの下で揺れをこらえつつも

何となく冷静に思った、

 

 

(強烈な揺れだけど命は助かりそうだ)

 

 

 

揺れて手元が定まらないケータイで「こちらは無事」と妻にメールを送った。

 

 

 

揺れがやや収まったタイミングを見て駐車場に避難をした。

 

 

 

駐車場を見て驚いた。

 

 

 

車が元の停車位置からかなり移動しているのだ。

サイドブレーキを引いていない車は地震の強烈な揺れで大きく移動してしまったのだろう。

 

 

 

点呼がとられ全員の無事が確認できた。

幸いけが人もいないようだ。

 

 

 

泣いている人や地震に驚いて話し続けている、

みななにが起こったのかわからず不安なんだろうと思う。

 

 

 

ほどなく冷たい雪が降り始めて携帯はつながらなくなった。

 

 

 

 

その時点では今起こったことが

未曽有の大震災だなんてことは全く分かっていなかった。

 

 

 

 

誰かが携帯のワンセグ放送でニュースを見て
「津波がきている」と話している。

 

 

 

翌日、津波で多くの命が失われたことになるが

この時は津波で人が死んでしまうなんてこと思いつきもしなかった。

 

 

 

 

ぼくは、妻は?子ども?無事なんだろうか?状況が気になっていた。

 

 

 

 

当時、住んでいたアパートは内陸なので津波の心配は無い。

 

しかし、アパートは崖のヘリに建っていたので

崖くずれでもおきたら家ごと消えている可能性があった。

 

 

 

携帯もつながらない状況でだんだん焦り始めていた。

 

 

 

ここまで約2時間。

業務の続行ができないと判断され帰宅指示が出た。

 

 

長すぎる2時間。

今振り返るとなんで指示に従って待機していたんだろう?と思う。

 

 

 

 

携帯は繋がらないから妻と子どもの状況が全く分からない。

 

 

 

自転車を必死に漕いで家に向かった。

 

 

 

信号が止まり道路は混雑していた。

 

 

 

強烈に焦りが募った。

 

 

 

(いやだ、いやだ)

 

 

最悪の事態を想定して心の声が繰り返していた。

 

 

 

次の角を曲がるとアパートが見える。

 

 

 

(あった)

 

 

 

がけ崩れは起こらず建物は原型を留めていた。

だが、近づくとすぐに違和感に気づいた。

 

建物はいつもの形をしていたが構造が歪んだのか窓が枠ごと吹っ飛んでいるのだ。

 

 

 

 

妻と子どもの姿はなかった。

 

 

 

 

まだ余震が続く中、歪んだドアを開けて中に入ってみると

足の踏み場もないくらいに物が散乱していた。

 

 

 

窓が無いので部屋の中に雪が降り込んでいる。

 

 

 

(ここにはもう住めない)

 

 

 

そう思った。

 

想い出もなにも無い。

 

とにかくめちゃくちゃだった。

 

 

 

外に出ると近所の人が

「奥さんは実家に避難したよ!」と教えてくれた。

 

 

 

 

無事がわかってようやくほっとした。

 

 

 

 

辺りが薄暗くなり始めたころ、

ようやく妻と子どもに会うことができた。

 

 

 

助かったのは運がよかったから

この時のことを今思い出しても、

家族が助かったのはたまたまだと思う。

 

 

崖下に家ごと転落しなくても、

揺れを感じてすぐに外に出たら瓦の落下で命を落とした可能性もあったから。

 

 

振り返ると危険はたくさんあった。

 

 

 

(ぼくはなんで生かされたんだろうか?)

 

 

 

今もときどき自分が生かされた意味を考えます。

 

 

 

残りの人生を何に使うかを考えるようになった

その後、1年ほどしてぼくは会社を辞めた。

 

 

10年近く会社にいたけど自分の力の無さを痛感したから。

最低限の給料を得て生かされているだけだと知って

変わりたいと思った。

 

 

 

 

なにが起こっても自分で道を切り開いていくことのできる力を身につけたい。

 

 

 

溺れている人は溺れている人を救えない。

 

 

 

力を身につけて自分と同じ悩みを抱えている人を手助けしたい。

 

 

 

子どもにそれを見せるのが

自分の使命なんじゃないかと考えるようになった。

 

 

 

このブログを通じて

自分が持っている価値を伝えることができればと思います。

 

 

 

時間は命。

残りの時間をバチバチと燃やしながら生きていかなきゃ。

 

この記事を書いている人 - WRITER -
みやま
一日のほとんどを会社で過ごし家族と関わるのは休みの日だけという生活に違和感を感じ、人生を変えたいと奮闘中。派遣生活も3年目に突入。ストレスなのか、歳のせいなのか薄毛も気になる今日この頃。ブログ内容は、派遣の仕事、住まい、移動手段、子育てなどを中心に書いています。
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